2008年 06月 08日
DPI世界会議韓国大会報告「障害女性」分科会から
第4分科会「障害女性の世界的なネットワーク」から転載
堤愛子さん
「日本では1970年ごろ女性障害者独自の活動が始まった。そこでは、恋愛、結婚や子育て、施設での異性介助などが話された。親や施設職員の勧めで子宮摘出手術を受けた人たちが体験を話し始めた。1986年には女性障害者ネットワークができた。障害女性たちの運動と国際的な支援を背景に、1996年には、長年問題となっていた優生保護法の、遺伝的疾患をもつ人を強制不妊手術できるという優生条項が削除されて、母体保護法となった。この課題で、非障害女性との共同を進めることができた。ちょうど1986年には日本最初の自立生活センターもできた。ピアカウンセラーの多くは障害女性である。今、韓国、台湾、フィリピン、タイ、パキスタンなどの、自立生活運動と連携が進む中で、日本でも経験してきた障害女性への差別偏見を、改めて味わっている。さらにネットワークを広げていきたい」
「DPI女性障害者ネットワーク」は1986年に発足し、優生保護法が優生条項を削除し母体保護法となった後、2000年頃からいったん活動が休止状態となっていましたが、DPI世界会議韓国大会で、障害女性がクローズアップされ、その連帯が求められるという世界的な後押しもあり、活動を再開させようと、動き出しています。
堤愛子さん
「日本では1970年ごろ女性障害者独自の活動が始まった。そこでは、恋愛、結婚や子育て、施設での異性介助などが話された。親や施設職員の勧めで子宮摘出手術を受けた人たちが体験を話し始めた。1986年には女性障害者ネットワークができた。障害女性たちの運動と国際的な支援を背景に、1996年には、長年問題となっていた優生保護法の、遺伝的疾患をもつ人を強制不妊手術できるという優生条項が削除されて、母体保護法となった。この課題で、非障害女性との共同を進めることができた。ちょうど1986年には日本最初の自立生活センターもできた。ピアカウンセラーの多くは障害女性である。今、韓国、台湾、フィリピン、タイ、パキスタンなどの、自立生活運動と連携が進む中で、日本でも経験してきた障害女性への差別偏見を、改めて味わっている。さらにネットワークを広げていきたい」
「DPI女性障害者ネットワーク」は1986年に発足し、優生保護法が優生条項を削除し母体保護法となった後、2000年頃からいったん活動が休止状態となっていましたが、DPI世界会議韓国大会で、障害女性がクローズアップされ、その連帯が求められるという世界的な後押しもあり、活動を再開させようと、動き出しています。
by cil_morioka
| 2008-06-08 10:03
| DPI
|
Comments(0)